他人と話すということ

酔っぱらってるので勢いで書きます。



人の話を聞くのが好きです。といっても、その人の又聞きの知識とか、ありきたりなステレオタイプな話というのはつまらないし全然興味が湧かない。これは誤解を招く言い方ですが、その人が実体験を経た結果にありきたりな意見になったというなら、聞いていても面白いものなんです。しかし、現実にはほとんど聞きかじり、半分以上どこからか刷り込まれたような情報だったりすると、これは全然面白くない。
その刷り込まれた情報か純粋に体験から来る情報なのかという判断基準は、↑の文を読んでもらうとわかるように曖昧なものです。自分がそこの判断をどうやってしているか。というか、どういった話は刷り込みではないのか。これも単純な話で、実体験に則した話というのは、自然とその人自身の考えや感じたことが出てくるんですね。あまりに知らないことを話そうとすると、途端に受け売りの話になる(そしてその多くは、誰もがどこかで刷り込まれた話なんです)。かつその人の感じたことというのは、やはり個々人バラバラなわけです。同じ経験をした別な人の話を聞くと、肝心要のところで違ってくる。そこで、「あ、この人はそう受け止めるんだ。」「へぇ、そういう考え方もあるのか」となるわけです。それら個々人の違いが、人間味というもの、持ち味というものを形成しているんだと思います。
などと当たり前のことを講釈してみました。




このあとに言いたいこと書こうとしたけどグダグダになり始めたのでカット。




とにかくアレです。










一般人様の秋葉原ステレオタイプな話をされても全然面白くないんだよ、と。


いや、まぁオタクにありがちな「お前らはなんもわかっちゃいない」みたいな精神構造を多分に踏まえた愚痴なんですけどね。あまりに「いかにも」は秋葉原像を語られると、この人は本当に心からそう感じたのか、あまりに既存の観念やステレオタイプが刷り込まれてしまい、自分の脳味噌で考えること、理解しようとすることを放棄しちゃいないかと思ってしまうわけです。